心がだらけたがっているんだ。

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人の意志についての、だらだらトーク

えー。

自己責任っていうのは不思議な言葉だと思うス。


「これは私の自己責任です」

…って使い方は、「私の」と「自己」で
二重修飾になるのでマチガイです。
正しくは「これは私の責任です」ですよね。

てことは、ですよ。
逆に言うと、基本的に「自己責任」って単語は
自分以外に対して使われる言葉なわけですよ。

「これはあなたの自己責任です」ってね。

「あなた」の部分は、「第三者」であっても可。
だからもっと単純にすれば、
「自己責任」ってのは一般的に
「自分以外の誰かの責任」のことを
表す言葉として使われるんですよね。

「自己責任」=「自分以外の誰かの責任」

「自己」っていう単語の意味を考えると
なんかおもしろい表現だと思います。

注)言葉の定義に関する話ではなく、
言葉の概念を人がどう認識するかという話です



じゃあ、「自分以外の誰か」って誰なの、
という話をしていくんですが。

まず、この場合の「自分」ってのは、
「これはあなたの自己責任です」って話す人、
つまり『自己責任という言葉を使う人』です。
3文字で言えば「話し手」です。

「話し手」ということは、
一人じゃなくても良いわけです。
「自分以外」は「話し手じゃない人」
と置き換えられます。

話し手が2人いれば、その2人以外の人。
話し手が3人いれば、その3人以外の人。
話し手が100人いれば、その100人以外の人。

それが「自分達以外の誰か」です。
って当然ですね。

実際には、「自分達以外の誰か」は
誰か一人に特定されて、その特定の人に対して
「自己責任」が問われることが多いんですが。
そこはひとまず置いておいて。



ここで「自己責任」という言葉の「使われ方」を
ちょっと考えてほしいんです。

「責任」ではなく、あえて「自己責任」という言葉を
選んで使う人にとって、大切なのは
「責任者を特定する」ことよりも、
「責任は自分達には無い」の部分じゃないですか?
「自己」とわざわざ修飾する意味は
そこにあるのではないでしょうか。

要は、社会問題に対して、
責任を負うのが自分じゃなけりゃいい。
これは「自己」責任、「自分以外の誰かの」責任だ。
責められるべきはアイツだ、だから自分は悪くない。
「自己責任」という言葉を使うとき
そういう意識は無いでしょうか?

専門家であれば、「自己責任」を
法的な意味合いで使う場合も多いですが、
ふつうの一般人でさえ「責任」ではなく
わざわざ「自己責任」という言葉を使う背景には、
多くの人が

「自分(達)以外の誰かに責任がある」

という事実を切望しているのではないでしょうか。



そして「自分(達)以外の誰かの責任」を求める心は、
疫病の原因たる「魔女」を探す魔女狩りの心理や、
「自分たちより劣った民族」を差別する心理と
よく似ています。
人間にとって非常に原始的で親しみやすい思想と
いうわけです。

「罪とか十字架とかを代わりに背負う誰か」を
求める傾向があるってことなんですかね。



「自己責任」=「自分以外の誰かの責任」を
より宗教的な言い方にすればこうなります。

さきほど、
話し手が100人いれば、その100人以外の人。
それが「自分たち以外の誰か」です、ってゆいました。

もし。
「自分(達)以外の誰かに責任がある」
というのが人類にとって受け入れやすい思想であり、
人類全員に対してあてはまる「自分たち以外の誰か」が
求められているのだとしたら、それは人類以外の存在、
すなわち人外の存在となります。

そして、「誰か」ということは、「人」もしくは
「人に近い人格性を持つ」ということ。

「人類では無いけど、人格っぽいものを持った何か」

それが人類にとっての「自分たち以外の誰か」です。
さらに「責任」とは、義務や罰、リスクを負うこと。
責任は決して目に見えず、人を動かす力になる概念です。

「自己責任」という概念を、人類の数、話し手の数、
つまり自己責任を信じる人の数だけ、拡大していくと

『人類では無いけど、人格っぽいものを持った何かで、
目に見えず、現在や未来を強制する力。』

というものになるとも言えるです。
これは一般的な「神」の概念そのものだと思います。

「自己責任」を求める姿勢というのは、
現代人が「神」を求める姿勢なのではないでしょうか。

神様は、自己責任という名で、
現代社会に生きているのかもしれません。



「自己責任」と「神」がなんとなく似ている、
ということでしたが。

現代では、「自己責任」は大抵
「特定の人」が負う場合が多い、と
先に述べました。

実際、「自己責任」という言葉が使われるケースは
「誰が責任を持つのか判断に迷う」場合が
多いと思われます。

そういう時、昔の人はどうしていたか。
昔であれば理不尽なことはたくさんありました。
「しかたない」「運が悪かった」というケースです。
つまり「誰のせいでもない(=神のみぞ知る)」で
終わっていたはずです。

「自己責任」という概念がメジャーになる過程で、
理不尽だったり複雑だったりするケースでも、
特定の人にすべてを負わせる形になっている。

これは、本来は「神」の管轄であった領域に
「人」が入ってきてしまったのだ、と考えられます。

「自分」のせいじゃない。
でも、「あなた」のせいだとも言い切れない。
そういう時は「神様」のせいにするのが
一番てっとりばやい解決方法だったのに、
現代社会では神の意志は認められない。

あくまで「人の意志」が社会を動かす、
「人の意志」さえあれば何かを動かせる。
そういう前提でシステムを作ってしまったので
「自己責任」を負う「特定の人」が生まれる。

人の意識で解決すべきとされている範囲が、
異常ともいえるくらい膨らんでいるのだと思います。
うむ。人はそんなに万能ではない気がするの。



自分に全く責任が無いと思っているなら
社会問題を断罪するのは簡単ですが、
この現代社会においては、
「自分が本当に無関係なケース」の方が
まれなケースだと思います。

誰もが誰かの歯車であり、
誰もが誰かに影響を与えている、
そのくらい社会が複雑化しているのが
今のご時世ではないでしょうか。

そんななか、むやみに「自己責任」と言い
人の意志決定が過剰に評価されているのは
危険な傾向だと思います。



もひとつ例を挙げたい。
人の意志決定、自由意志の過大評価について
マインドコントロール(略してマイコン)の例で
お話しします。

思うに世間一般のマインドコントロール技術、
略してマイコン技術ってのは、
マインドつまり「精神」のコントロールじゃなくて
本当は「身体」のコントロールではなかろーか。



えーと。普段の私たちって、
呼吸したり、腹減ったり、痛くなったり
しますよね。
人の身体を、観察していると

無意識の動き

が大部分を占めてませんか?
日常生活において
生きたい生きたい生きたすぎるって念じながら
生きてる人はあんまりいない。いたら怖い。

でも、意識の面ではなんてゆーか
「自分の意志で生きてる」って
考えてると思います。
そこまで考えてなくても、ほら。

「自分の身体は、自分で動かせる」って

ゆーふーに思う人、多いんじゃない?
自分の身体なんだから、自分で思った通りに
だいたい動かせるよ?俺の意志で動くよ?
みたいな。

この「自分の身体動かしてんのは俺」的な
自我がマチガイのもとだと思うの。



根性があれば、夢があれば、
強い意志があれば、
自分の思い通りに自分の身体を動かせる!
みたいなのは、幻想なんですよね。
幻想とまではいかなくても、なんだその。
あれ。
それはあくまで帰納的推論の早すぎる一般化。
正確には
「自分の思い通りに自分を動かせる」
じゃなくて
「自分の思い通りに自分を動かせる(気がする)」
なんですよ、あくまで。

だって、呼吸する意志なんて大して無いじゃん。
眠気だって自然に襲ってくるじゃん。

え?
眠気には勝てるから、自分の思い通りに動かせる?
違うよ。「眠気に襲われる意志」が無いのに
すでに眠気に襲われてるじゃん。
その時点で全然思い通りに動いてないじゃん。
(Dっぽい言い方で)



でも不思議なことに、とりあえず、
「自分の思い通りに自分の身体を動かせる」
というのは、社会が成り立つ前提になってるよね。
誰もが信じている共通幻想というか前提というか。
自由意志の原則ってやつ? よくわからんけど。
そこに、マインドコントロールができるスキがある。

つまりこうですよ。

1「自分の思い通りに自分の身体を動かせる」
はずなのに、

2「自分が思ってないのに自分の身体が勝手に動いた」
ことがあると

3「自分以外のナニカが自分の身体を動かした」
ような気になって

4「自分以外の誰かが自分の身体を動かした」
という結論に至る、と。



どんなマイコンであれ、
基本パターンは大抵これに当てはまる。

見ればわかるとおり、上のチャートで
「行動」は2番だけで、後は妄想なんですよね。
だからマイコン技術とは、
「自分の意志とは無関係に身体が動く」ことを
強制するトリック、すなわち
「身体コントロール」なのだと。
そういうことです。

そして、上の2番の要点ってのは
「自分の意志に反して身体が動く」
という1点に尽きる。
それさえクリアできれば、
たいていの人はマイコンにかけられる
ということです。



仕組みさえわかれば後は簡単ですよ。
麻薬だろうが電気ショックだろうが
なんでもいいから、とにかく
相手の「意識」と「行動」を
一時的でよいので分断するのです。
それなら手段は腐るほどあるです。
元々身体は自分の意志とは無関係に
動いてるほうが多いんですから。

他には「自己啓発」的な意識改革も
同じ方法論をとってますよね。
「意識を変える」技術の大半は
実際には意識を変えるのではなく、
習慣や環境を変える技術です。



特に「マイコンなんて信じない!」人ほど
実際に動いてしまった時の落差が激しいから
コロッと一撃必虫ホイホイさん。
理論的な人ほど罠にひっかかりやすいの法則。
何でも2極化してしまうというか
プラスとマイナスに分けてしまうんですね。
うんうん。

人の意識、自意識を過大評価することが、
かえって自我コントロールを奪われる原因となる。
「何でも思い通りになる」と考えると
思い通りにならなかったとき、自分の意志を
全否定してしまうわけです。



「自分の身体が、自分の意志で動いている」
というのは、現代人の大きな錯覚だと思います。

身体というのは、もともと人工物では無いのです。
メカメカしく作られた存在では無いのですから、
人の意志が及ばないような動きをするのは
当然ではないですか。

だから私が働きたくないと思うのは
宇宙意志ですので私は悪くないよ。
知らん。もう寝ます←結論

※この記事はでたらめなフィクションです
実在の団体・思想とは一切関係ありません
  1. 2009/07/29(水) 19:56:13|
  2. わふる
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

目が疲れた

クソ長え。
こっそりDっぽいとか入ってるのが気になります
  1. 2009/08/07(金) 00:04:46 |
  2. URL |
  3. でー #-
  4. [ 編集]

自己責任

自己責任って言葉には酷く日本的な感覚を感じます。
自己責任でお願いします
等、自己責任ってのは他者に責任と言うものを感じる心。
自身の心の中にある信仰が他者にもあるだろうと言う期待と言うか、ある種のなきゃ村八分だぜー的感覚もあるようなないような。
言うなれば言わないといけないのが現代式なのかなぁ。
共通幻想を持てないほど世界が複雑化したと言うよりは広くなったのかなとか言いつつ、何言ってんだか分からなくなった所で終了。
  1. 2009/08/09(日) 19:30:50 |
  2. URL |
  3. 雪 #mQop/nM.
  4. [ 編集]

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