心がだらけたがっているんだ。

【速報】2013年仕様

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

キーンコーンカーンコーン

だらけ学、助教授見習い手伝い、わふるだ。
本日の講義を始める。


前回の講義はこちら

需要は無いよ。


●前回のまとめ
・行動を決定する意志は、行動の後に生まれる、と考えられる。
・人は行動の結果を予測する。その予測は、行動の結果に影響を与える。
・人の意志が直接影響するのは、結果ではなく結果予測のほうである。

●前回の補足
・「主観イメージの世界」について
これは、自分の空想や妄想の世界、という意味ではない。
我々が普段、五感を通して感じる現実世界そのものを指す。
我々は、脳をはじめとした自分の身体を通してでしか、
世界を観測できないということだ。

だから、「うつ状態で主観イメージの世界が悪くなる」、という表現は
自分の空想や妄想の世界が悪いものにかわっていくのではなく、
一般的な「現実」そのものの悪化を認識する、という意味である。
現実が悪化することで、さらに主観は悪いイメージを抱き、
現実そのものがさらに悪化する。

それは、思い描く空想世界が悪くなるのとは根本的に違い、
自分の目で見える現実に不安や恐怖が増していくことである。
そして、自分の目で見える現実とは主観的な現実であり、
人には真の意味での客観的な現実は認識できない。

・「予測」と「事実の修正」の補足
自分の行動を、自分の意志によるものだと後付けで思い込むのが「事実の修正」。
また、行動後に「自分の意志によるもの」と思い込めるよう、
あらかじめ行動を制限したり、逆に最大限の力を発揮させたりするのが「予測」。
共通点のみを抜き出し、「行動する時点」を原点として時系列で整理すれば、
この、行動前の「予測」と行動後の「事実の修正」は対になる現象である。

まず「事実の修正」は、既に起こした行動に対し「自分の意志で行動した」と
意味づけることから、「行動後に自分の過去を書き換える現象」と言える。

そして「予測」は、これから起こす行動の成否が、自分の意志の成否と一致するよう
あらかじめ調整することから、「行動前に自分の未来を書き換える現象」である。

このとき、書き換える対象となるのは、どちらも主観イメージの世界そのものである。
我々は普段、過去の世界に対し、できるかぎり自分の意志で行動してきたと感じ、
未来の世界に対し、自分の意志次第で未来が変えられると本能的に感じている。

つまり「予測」も「事実の修正」も、正反対の性質だが、根本的な目的は同一である。
「現実世界」を、「自分の意志が大きく影響を与える世界」として認識する。
そのために必要な手段なのである。

●世界の書き換えについて
我々は「予測」を常に行い、行動した後は常に「事実の修正」を行なっている。
我々は自分自身で、インターネットブラウザの「更新」ボタンを連打するように、
自分の中の未来世界と過去世界を絶えず更新させていると言えよう。

多かれ少なかれ、過去の古い出来事について、楽しいものは美化され、
苦しいことは苦しさのみ強調されていることは、よくあることだ。
「過去は変えられない」という表現はよく聞くが、
過去世界は主観イメージの中でしか認識できないことを考えれば、
過去ほど変わる世界はない。人によって多種多様の世界があるはずである。

●主観イメージ世界の認識について
常に更新を続ける、我々の主観イメージの世界。
真に客観的な「現実世界」と我々が五感等で感じている
「主観イメージの世界」は異なるもの。

では、現実ではない「主観イメージの世界」とは、
具体的にどのような世界なのだろうか。
これが今回の講義テーマである。

※一応断っておくが、これは「だらけ学」である。
だらけ学とは適当でたらめを身上としたエセ科学であり
ここに書かれていることに科学的な根拠はない。
人の認識する世界を分類しようという試みではなく
あくまで「だらけ学から見た世界観」を紹介しているだけである。
反証不能な事柄であるため、科学的な見解ではないのである。

さて、結論から述べる。
主観イメージの世界、つまり、「広い意味での」主観的な世界は、
我々が認識するすべての世界を指す。
当然ながら身体感覚と社会的事実と物理的事実では内容が異なる。
仮想的に次のような階層を考えると、世界の分類が可能である。

●認識世界の階層化(仮に7段階とする)

低級世界(具体的な世界)


第1階層<客観的事実>現実世界(観測はできない)

第2階層<客観的事実に近い意見>物理法則に従う自然界

第3階層<客観的事実に近い意見>生理的身体感覚世界

第4階層<主観的意見>感情、夢や空想の世界

第5階層<主観的意見>社会通念、規則や常識の世界

第6階層<主観的意見>理論的な思考、仮想現実の世界

第7階層<主観的意見>原理的な信仰世界、神の世界(観測はできない)


高級世界(抽象的な世界)

それぞれの階層分類に深い意味はない。
ただ、階層が低いものほど身体的・現実的になり
階層が高くなるほど概念的・精神的になるということである。
あくまで個人それぞれが認識する世界なので、
各階層の境界は明確に分けられるものではない。


●第1階層<客観的事実>現実世界(観測はできない)
第1階層は、主観イメージ世界ではなく、
基本となる世界、狭い意味での現実世界を指す。

全7階層の世界の中で最も低級な世界である。
低級な世界という言葉からは、軽視的なイメージを連想させるが
実際はむしろ逆であり、第1階層こそ世界そのものである。
世界の階層はピラミッド状に形成されており、
どの層でも、その層より低級な階層すべてを基盤として形成される。
第1階層は、一番下の土台、もっとも原始的な世界である。
この具体的な世界がなければ、これより高級な世界は存在し得ない。

我々は脳というフィルターを通さない限り、
世界を認識することができないので、
この第1階層の世界、すなわち
「人が観測しなくても存在する世界」そのものを
観測することできない。
観測はできないが世界の根幹となる部分である。
人が観測できないからといって、存在しないわけではない。

●第2階層<客観的事実に近い意見>物理法則に従う自然世界
第1階層の言い回しを使うなら、第2階層以降は
「人が観測することで存在する世界」である。
第2階層からが、「主観イメージの世界」を指す。

第2階層は、普段我々が感じている「現実」のうち、
第1階層に最も近い、具体的で客観的な世界、
「気持ち」だけでは動かすことができない世界を指す。
雨、嵐などの自然現象や、物が落ちるなどの物理現象は
人が「こうありたい」と願うだけで変えられるものではない。

この世界において、人の意志の力は無関係であり、
基本的に誰が見ても同じものである。
第2階層の物理法則とは、ヒトが現在考えている発展途上の法則ではなく、
すべての自然物が従っている「絶対的な法則」そのものである。
その法則は、未だ人には解明できていない。

●第3階層<客観的事実に近い意見>生理的身体感覚世界
第2階層が極めて客観的な視点からみた世界だとすれば、
いくらか主観要素が混じってくるのが第3階層の世界だ。
第3階層は、普段我々が感じている「現実」のうち、
自分の五感で感じる世界を指す。
自分の感覚なので、当てにならない(現実と異なる)場面も出てくる。

「熱い」「寒い」「大きい」「小さい」
見たり、触ったり、聞いたり、嗅いだりすることで
「そこにある」と認識する世界だ。
自分の肉体そのものも、この第3階層の世界で認識できる。
したがって、この第3階層から上が、「予測」や「事実の修正」による
書き換え対象となる主な世界である。

●第4階層<主観的意見>感情、夢や空想の世界
この層から完全に主観、「意識」「意見」の領域に入る。
よって、ここから先の階層区分は明確に分けられるものではない。

第4階層は個人の意志、意見の世界。
意見というのは、「人によって見方が変わるもの」を指す。

第3階層は「熱い」「寒い」「大きい」「小さい」という
「身体を通して感じる感覚」そのものの世界であるが、
この世界は、「身体を通して感じる感覚」に自分の意識が上乗せされる。

第2階層の世界で「一様に広がる緑の植物の一部に木材が載っている状態」は
第3階層の世界では「広い草原に1軒家が建っていることを知覚している」となり
第4階層で初めて「広い草原にポツンと1軒家が建っていて寂しい」
「広い草原に1軒家が建っているなんて美しい」などの認識を持てることになる。

●第5階層<主観的意見>社会通念、規則やモラル、常識の世界
個人の意思を越える主観世界である。
第5階層は、人間社会そのものを意味する。

基本的に、「法人格」という言葉に代表されるように、
理論上だけ存在する、実体のない世界である。

実体は無いが、個人同士の意志(信用)によって認識できる世界である。
組織というものを考えればわかってもらえると思うが、
あらかじめ決めてある約束事を守る事で存在する世界である。
意志の上で存在する世界なので、意思疎通のできない動物には
認識できない世界となる。

猿や犬は意識を持ち、お互いにコミュニケーションが取れるため
独自の第5階層の世界を構築できる。
全7階層の世界だといっても、人と他の動物にそれほど大きな
世界認識の差があるわけではないのだ。

●第6階層<主観的意見>理論的な思考、仮想現実の世界
個人の意思を越える主観世界のうち、さらに秩序のある世界。
この階層は第5階層とほぼ同義だが、
「演算ができる世界」ということでより高級な世界とした。

理論的な思考というと、精神的なイメージよりは
現実に近いイメージのような気がするが、実際は違う。
理論というものは、必ず「条件付け」が存在する。
条件付けの無い、無条件でどんな時も満たされる絶対的理論
(第2階層の「物理法則」のことを指す)なんてものは、
まだ人間が到達していない領域である。

理論的な演算をするためには「条件付け」が必要なのである。
それぞれ形の違うヒトを「ひとり」「ふたり」と数えることは、
現実には存在しない「普通のヒト=1人」という条件があることで
初めて可能になる。
1+1=2という計算は、概念的な思考により生み出されるもので、
具体的には存在しない、架空の表現である。

●第7階層<主観的意見>原理的な信仰世界、神の世界(観測はできない)
秩序のある主観世界すら越えたところにある、究極の仮想世界。
すべてが概念のみで存在する世界であり、人がその世界を知るすべはない。
この世界の事柄を、無理矢理人の世界まで引き戻すと、
第2階層の「空想」や第6階層の「仮想現実の世界」で一部が表現できる。
誰も観測できないので、好き勝手言えることができるし、反証手段もない。
「観測できない」という点においてのみ、第1階層と一緒である。

●人による差異
この多段にわたる階層世界は、すべての人が認識できるわけではない。
世界の観測レンジ、すなわち観測できる世界の層は、子供と大人でも異なる。

たとえば、子供であれば、第3階層や第4階層のような身体感覚的世界を
理解している反面、社会的な事柄には無知であり、第5階層のような社会が
あることを認識できない。
逆に、大人であれば、自分の身体の世界よりも社会的世界を優先させることを
余儀なくされることもある。

●どの階層に視点を置くか
同じ物質でも、どの階層から観測するかによって、
認識は大きく変わることになる。
例えば、一本の中身の入った牛乳ビンがあるとする。
それぞれの階層から見ると、同じものでも認識が変わる。
観測できない第1階層と第7階層をはぶくと、

対象:一本の牛乳

第2階層「物理法則に従う自然界」から見ると
→「液体と固体」

第3階層「生理的身体感覚世界」から見ると
→「飲み物」

第4階層「感情、夢や空想の世界」から見ると
→「おいしそうな牛乳」

第5階層「社会通念、規則や常識の世界」から見ると
→「おいしそうな国産牛乳」

第6階層「理論的な思考、仮想現実の世界」から見ると
→「原価50円のおいしそうな国産牛乳」

となる。
我々の肉体は第3階層にあるから、
牛乳を「飲み物」だと認識できれば生存には十分である。

我々の意志は第4階層にあるから、
「おいしそうな牛乳」だと認識できれば心は満足する。

我々の社会は第5階層にあるから、
「おいしそうな国産牛乳」だと認識できれば社会で通用する。

我々の社会は第6階層の理論に基づき動いているから、
「原価50円のおいしそうな国産牛乳」だと認識できれば
この牛乳を使って商売が始められるかもしれない。

●高級な世界の功罪
人が認識できる最高級の世界は、第6階層である。
では、我々は常に第6階層の視点から
世界を観測していれば良いのだろうか?

残念ながら、それは極論である。

確かに、普段は社会の中で暮らしているのだから、
第6階層の視点で物事を考えるほど社会的に成功する。
しかし、忘れてはならない事がある。
我々の意志や肉体は、第6階層の世界には存在せず、
より低級な世界に属するものなのだ。

暴論で説明すれば、自分の体が認識する第3階層以上の世界は、
人の頭の中だけに存在する夢や幻の世界だと言っても良い。
階層を高くするほど夢まぼろしは、具体性を無くしていき、
現実世界とのズレも大きくなっていくものである。

我々の社会では、人は殺してはいけない事になっているが、
我々の身体は、人を殺せるようにできているのだ。
我々の身体は第3階層にあり、
第2階層の(ほぼ)客観的な現実世界と
第6階層の概念世界をつなぎとめる役割を持っている。
高級な世界のみを考えるばかりで、
低級な世界との位置を把握していないと、
高級な世界は現実を超えてあっさりと破綻するであろう。

●現代世界の方向性について
現代社会は、人の発展により支えられてきた。
そこには、人の根源的な欲求たる
「自分の意志が大きく影響を与える世界」すなわち
「自分の思い通りになる世界」を作りたい、
という強烈な思いがある。

世界を階層化して捉えてみると、
高級な世界ほど概念的であり、
「予測」や「事実の修正」の影響を
強力におよぼす事ができる。

高級な世界ほど、抽象的になっていく、
現実的束縛から離れていくのだから、
未来予測や事実の修正が効くようになる。

高級な世界であればあるほど、
自分の都合のいいように過去や未来を変えられる。

「明日晴れるか」という未来は正確に予測できないが(自然階層)
「明日何曜日か」という未来は容易に予測可能である(社会階層)。

「昨日熱が出た」という過去は自分の意志では変えられないが、
「昨日講義休んだ」という過去はうやむやにできる可能性がある。

そして、「予測」や「事実の修正」が強力になることは
「自分の意志が大きく影響を与える」ことを意味する。
自分の都合のいいように過去や未来を変えられる。
それは、人にとって非常に重要な意味を持つ。
よって、多くの人は、より高級な世界を望むようになる。

中世ヨーロッパ初期から、王侯に仕える騎士達がいたそうだが
彼らはそれはそれは気性が荒く、次の戦にそなえるまでの暇つぶしに
味方同士で斬り合い、殺し合いを楽しんでいたそうである。
生理的な肉体感覚や激情を重視する、第3~4階層の住人達であろう。

そのあまりの粗暴さに、騎士達を取り締まる規律をつくったのが、
後の世の「騎士道」の始まりということらしい。
社会的な世界、第5階層の発展である。

そして時は過ぎ、より合理的な社会が築かれていった。
社会は複雑になり、騎士道のような単純な決まりだけでは
立ち行かなくなった。
結果として、全体を整理するための
理論的な思考が重視されるようになった。
貨幣経済、資本主義、第6階層への移行である。

最近は自己中心的な人が増えたと言われるが、
世界の認識が高級化していると考えれば説明はつく。
より世界の階層を高く、高く。神の領域へ。
それが人類の発展だと信じられてきたのだ。
その結果、多くの技術や組織が開発され、人の意識は高級化した。
現実世界を離れた高級な世界では、現実的な事実の影響に取って代わり
自分の意志こそが、世界に最も大きな影響を与える存在だと思うようになった。
高級な世界を認識する事が良しとされ、人々の意志は
自分の意志ひとつで世界を変えるような万能感を抱くようになった。

それは果たして発展と呼べるのか?
「原価50円で」「おいしそうな」「国産の」牛乳を買える世界が
「おいしそうな」牛乳を飲める世界よりも
発展した世界なのか?

キーンコーンカーンコーン。

本日の講義はここまでである。
期末レポートの範囲はプリッキュア5劇場版からGOGOまでなので
よく復習しておくように。
  1. 2008/04/14(月) 22:10:44|
  2. わふる
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<プリッキュア555感想って | ホーム | プリキュアフェス>>

コメント

(; ゚д゚)

見習いから見習い手伝いに降格しているっ!
  1. 2008/04/14(月) 22:57:56 |
  2. URL |
  3. D #-
  4. [ 編集]

わお

D先輩、チェック細かいですね!
遠野フツーにスルーでしたYO☆
  1. 2008/04/15(火) 20:46:29 |
  2. URL |
  3. 遠野ありく #N2y2xK1c
  4. [ 編集]

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://darake21.blog70.fc2.com/tb.php/377-662355ec
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。